1994年9月4日関西国際空港開港
もしかしたら、こちらをお読みくださる方のなかで、
「まだ生まれていない」
という方もいらっしゃるかもしれません。1994年9月4日に関空が開港しました。
その日の釜山成田にご搭乗されていた、こまっちゃんさんが、当時の機内食の様子をお届けくださいました。こまっちゃんさんは、機内食クラブ初登場!ようこそ、機内食クラブへ!!
待ちに待った空港
伊丹空港が手狭で、就航したくてもできない航空会社が鈴なりであった当時、関空の開港を待ちわびていた方は少なくありませんでした。私自身も思い起こせば、当時、関空便担当していたなと。そんなに大きくない飛行機でしたが、いやー、コントロールがめんどくさかったです(笑)。あまりのカルチャー(商慣例)のちがいにびっくりしたものですが、おおむね好調な滑り出しだったように思えます。伊丹がいまいちということで、大阪発のお客さんは大阪から出発できる直行便も限られていて、羽田、福岡あたりまででるか、あるいは陸路で名古屋に行くかという選択肢を強いられていたので、関空の開港はめっちゃストレスフリーへの第一歩だったような気がします。
しかし、半年もしないうちに震災にみまわれ、大変苦戦した空港であったことも否めません。
釜山から成田の機内食
そのときにこまっちゃんさんがめしあがった機内食はこちら。
やはり、いまよりもずっとゴージャス(笑)
この日は、こまっちゃんさんは、ITM-SPN-KIX-PUSというルーティングで搭乗され、その日、4回目の茶そば!!今でもキラキラいけるいわゆるヘンタイルートですね。
そして、この日成田到着後は、JL51という国際線扱いのドメ区間を搭乗され、大阪に戻られました。すごいクールかっこいいです!!
データ
Airline : JAL Japan Airlines 日本航空
Flight No. : JL958
Travel Date : Sep 1994
Sector : 釜山成田 PUSNRT
Class : ビジネスクラス Business Class
By : こまっちゃん
☆こまっちゃんさん、貴重な情報提供ありがとうございます。いやー、めっちゃ懐かしいです。JL51便とか。これは純粋な国内線区間の運航でも「国際線」扱いとなっていて、前か後ろに国際線乗り継ぎがないと利用できないフライトでした。国際線がJALである必要はないのですが、座席数も限られていて、JAL以外から予約しようとすると、なかなか苦労した記憶も呼び起されました。
こういう楽しい昔の話は大好きです!! こまっちゃんさん、ありがとうございます。
そうそう、みなさま、こまっちゃんさんの今のアイコン、めっちゃ短命だったハーレクイン航空(JD:JASが出資していた)の尾翼です。まったくもってご縁がなかったのでうろ覚えなのですが、福岡から広州とかブリスベンかどこかにも飛んでいたような記憶があります。チャーターを引いていたような記憶もうっすらとあります。懐かしいです。
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